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毎年、必ずお詣りするんですけど
今年は新年から3回もいってきました・・♪
 
ご神体は三種の神器のひとつ
天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)通称、草薙剣(くさなぎのつるぎ)です。
素盞鳴尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を
倒した時に、尾から見つかったという剣です。
 
もともとは伊勢神宮に祀られていたのを
日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征する際に
伊勢の斎王を勤めていた叔母の倭姫命(やまとひめ)が持たせたそうです。

その後、日本武尊は東征を成し遂げて帰ってくるんですが
往き道で恋仲になった尾張の美夜受比売(みやずひめ)と帰り道に結婚し
姫に剣を預けて伊吹山の荒ぶる神を退治しにいったところ
病を与えられて亡くなってしまいます。
後に姫が剣を祀るために建てたのが熱田神宮だと言われています。
 
その地に楓の木があったのが、自然に燃えて水田に倒れ
その火が
いつまでも消えず、周囲の水田が熱くなったので

熱田と呼ぶようになったと言われています。
 
熱田神宮




名古屋
 
上の地図は名古屋の地形なんですが
熱田神宮は熱田台地の最南の先端に位置しています。
 
昔は神宮の東側は湿地帯で西と南は海に面していたようです。
また、東海道は宮の宿から七里の渡しで桑名まで海路になります。
この地が港町であった事は間違いないと思います。
 
日本武尊が東征した時に、副将軍として
建稲種命(たけいなだねのみこと)を連れて行きます。
このみことは美夜受比売の兄で水軍を率いていたと伝承されています。
推測すると、この地に海運に長けた豪族がいて、水軍の基地のようなものが
あったのかも知れませんね。
 
さて、尾張という地名は、この地に古代に存在した豪族で
後に熱田神宮の大宮司を代々務めた尾張氏を由来としております。
早い時期に大和朝廷と協力関係を結び、日本統一にも力を貸したおかげで
後の朝廷や中央の政権の中でも優遇されていたと推測されます。
名古屋の南部を本拠地にしていたみたいです。
 
熱田神宮の北西の熱田神宮公園の中に断夫山古墳があります。
この6世紀初頭に作られたと推測される東海地方最大の前方後円墳は
古代の尾張氏の当主の墓だと言われています。
 
ちなみに、鎌倉幕府を開いた源頼朝は、母方の曾祖母が尾張氏です。

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いつろうのプロフィール
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